2012年4月25日水曜日

私の幻の作品?


私は、秋田書店の週刊少年チャンピオンでの、『怪人ヒイロ』の終了以来、一時マンガを描くのが嫌になって、どおくまんプロでの漫画制作は一切やらず、現場事務所は小池たかしやみわみわにすべて任せて、一人毎日毎日ブラブラ遊びほうけていた。



そうして4年ぐらいたった頃、勝手なものであるとき急に、やもたてもたまらず漫画が描きたくなってしまった。
それで当時、編集局長をされていた、かっての秋田書店No.1の名編集長、Kさんにお願いし、さらに当時の週刊少年チャンピオンの癒やし系編集長の、O編集長にも無理をお願いして、わがままを通して描かせてもらったのがこの
Mr.ヒラ~ノである。


確か連続で4本くらい、30ページ強のページ数で描いたと思う。
もちろん最初からシリーズ化の気持ちもなく、4回ちょーどで終わりたいと思って描いたのだが、実は、内心続きを描こうという意欲が自分の中に出たら、続きを描きたいと密かに思っていた。

ところが、実際に久しぶりに4回やってみて、いやー、あまりにしんどかったのなんのって、もーこれ以上は無理と思った。
きっと俺はもう、二度とペンを握ってマンガ週刊誌の連載なんてバカなこと、二度と出来ないと確信してしまったの
である。


なんせいれ込むタチだから、マンガを描く時はハッキリいって命懸けで描きにいってしまうのだ。
精も根も尽き果てるまで、練って練って練りこんでしまう。
決して楽しんでなんて、描けるものではない。

私にとって苦しんで苦しみの果てに見える光明こそが漫画の完成なのだ。

たった4週間の連載だったが、この時はきっと4ヶ月くらい寿命を縮めたに違いない。


それで残念ながら、5回目以降は編集部には、やるやると言いながら、ネタも考えずに、ついに描かなかった。
いや描けなかったのである。

こうして結局Mr.ヒラ~ノは、ページ数が足りなくて、単行本にはならず、ついに書店には並ぶ事は、なかったのである。
(本当の事を言うと、私はけっこうこの作品が好きである。あとちよっと頑張って100ページくらい描いとけば良かった。そしたら単行本として残せたのにと今、後悔している)



当時、リアルタイムで週刊誌を読んでいた人々だけが、目にすることができた、私の幻の作品?と言えるかもしれない。

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