2010年11月15日月曜日
どおくまんプロ結成秘話 | その1
どおくまんプロ 昭和50年代 大阪市下新庄町に誕生、その後 吹田 に移転。
メンバーは どおくまん、太地大介、小池たかし、みわみわの4名でスタート。
代表作に『嗚呼!!花の応援団』 『熱笑!!花沢高校』 『暴力大将』 『なにわ遊侠伝』等がある。
映画化、アニメ化、舞台化された作品もある。
過去に書店用に単行本化されたものは、現在電子書籍のイーブックから、ほぼ全作品発刊中であるが、未単行本化の作品もまだまだ多く、電子書籍化をめざし、現在発表先をさがしているところである。
どおくまんのペンネームの由来
どプロ設立の3年位前、どおくまんは、「独漫」 というペンネームで主に青年漫画中心に、1、2本掲載していたが、当時はまったくの1人で描いていたので、一人の漫画家(孤独な漫画家という意味?実は本人もよくわからない。独という字が好きだったかもしれない)
しかしなんとなく、漫画って大変やな、こりゃとても1人じゃやれない、仲間を集めないと、という事で大学の友人の、小池たかし、や弟の、太地大介、そして弟の友人の、みわみわ、が集まってきた。
当時、東京の方で 『・・・△✕漫画家集団』 とかいうのがあって、なんとなくかっこよかった。当時は何かというと、東京の漫画雑誌の編集が、なんの責任もとらないくせに、すぐ 東京に出てこい なんていうバカをいう時代であった。大阪は完全に田舎扱いで・・・。文化は東京にしかないという言い方だ。
くそっ大阪も負けてられんというので、『独立大阪漫人集団』 というのを作ることにした。しかし名前が長すぎるし、漢字が多くて難しいというので、ひらがなで最初は 「どくおおまんしゅ」 の意見も出たが、なんだか怪しい酒のような名で、更に良くないので、思いきって短くし、更に 「独」 の間に 「お」 を入れて 「どおくまん」 に短縮したのだ。それを個人のペンネームにもし、プロの名にもしたのである。
この名で少年ジャンプに 『花田秀治郎』 の原稿を持って行った時、編集が「変な名の漫画家がいるんだよ、へへへ どおくまんだって」 と言ってたのを聞いて、この名はいける と思ったものだ。
つづく