2013年4月28日日曜日

『摩訶不思議 通販大王』第1話その⑰























2013年4月25日木曜日

太地大介の想い出 その2

■太地大介という男 (その2)
…もちろん食える訳もなく、私と太地大介と、みわみわの3人は毎日ただ、だらだらと漫画を描いていた。(小池たかしは当時、自分の漫画を自宅で描いていて、時々週刊少年ジャンプ等に短期連載等をしていたので、私達の〆切が間に合いそうもない時などに時々手伝いに来る程度だった。)

私は大学をほぼ卒業(?)していたが(実はこの時はまだ四回生で全く大学に行っていなかった)、弟の太地大介は一応現役の大学二回生であったが…休みがちであった。みわみわも一応専門学校の学生であったが、学校には全然行っていなかった。

当時、私の父親が亡くなったばかりで、上の2人の兄達が親父の跡を継いで実家の横で工場をやっていた時はオイルショックの真っ只中で工場は超忙しいが、超人手不足でもあった。

ある朝、徹夜で花田秀次郎くんシリーズを仕上げて弟と二人部屋で寝ていたら、突然兄が部屋に入ってきて枕を蹴り上げてこう叫んだのである。

「このボンクラ! ええ大人のくせにくだらんマンガなんか描かんでええから、はよ手伝えーっ!!」


…つづく

2013年4月24日水曜日

太地大介の想い出 その1

合掌!

私たち3人は事務所で昼食を食べる前に1分間の黙祷を捧げた。
今日4月24日は「嗚呼!! 花の応援団」の原作者で、
私の弟でもある太地大介の命日である。

もう、はや25年も経ってしまった。

今日から何日かにわたって、彼の事を書いてみたいと思う。


■太地大介という男(その1)
私が22歳の時、どおくまんプロを立ち上げたのであるが、その当時のメンバーは弟の太地大介と、その高校の友人のみわみわと、たまに参加する私の大学の友人の小池たかしであった。

当初は私の実家の6畳の和室に机を並べ、当時2ヶ月に1度連載していた
月刊少年ジャンプの「花田秀次郎くんシリーズ」を制作していた。

制作していたというと聞こえはいいが、要するに2ヶ月にたった32枚の仕事しかなく、しかもスズメの泪ほどのわずかな原稿料しか貰ってないくせにメンバーは私を含め4人もいたのである…


…つづく