2013年8月31日土曜日

『Mr.ヒラ~ノ』第4回その⑪






2013年8月25日日曜日

どおくまん 特別エッセー

太地大介の思い出 その8


何秒かにらみ合いが続く……。


すると相手は突然バイクを反転させ
『おぼえとれーっ』捨て台詞をして、走り去っていった。

フーと2人は大きく息を吸った。

『フン 何が覚えとれじゃドアホめ』と私は遠ざかる相手に吐き捨てる様に言った。

私 『あいつ明日、仲間連れて、待ち伏せしよるかもしれん。念の為、当分時間と道変えるで』


弟 『わかった』と短く答える。

帰り道、私達は並んでゆっくり自転車を走らせる。
月明かりが道路に2人の影をつくった。

私が先に笑い出した。

私は何だかおかしかったのだ。
あのヤンキーがチェーンを引きずりながら、あたふたと逃げて行く様を思い出したのだ。
横を見ると弟も笑っていた。

2人は自転車に乗って、実家に帰る踏切を、笑いながら渡った。

この時月刊少年チャンピオンで10年以上続く 暴力大将 の連載が始まったばかりであった。


...おわり

『摩訶不思議 通販大王』第2話その⑧








2013年8月24日土曜日

『Mr.ヒラ~ノ』第4回その⑩





 

 


どおくまん 特別エッセー

太地大介の思い出 その7

自転車の話-3

『おっ やるんかコラー』

近づいて来た弟に、バイクにまたがった大男はチェーンを持ち替えた。

弟は更にゆっくり近づいてゆく。
(マズイ 弟の奴 ホンマにやる気や

向こう見ずで、相手に言い掛かりをつけられたら、必ずやる。

単純というか純粋というか、バカの一つ覚えの様に、こんな時決して逃げないのが弟(太地大介)の性格だ。

私は慌てて自転車を、2人の間に割り込ませた。

『こらー いてまうぞワレー!!』

と大声で怒鳴りつけ、相手をにらみつけた。

(マズイなぁ、ケンカになって、こんな奴ケガさせて警察の厄介になったら、オレの漫画家としての将来が…)内心ではかなり動揺していたが、しかたがない。


(コイツがクサリ振り回す前に、ひっ捕まえて袋叩きにしてやる)と覚悟を決めた。


...つづく

2013年8月22日木曜日

みんなでクェックェッと盆踊りしょう!

恒例のすみだ錦糸町河内音頭大盆踊り32回目をむかえました。
今年もオース!嗚呼!花の応援団がキャラで応援しまっせー!


オス!わしらのTシャツも限定販売してまっせー!








2013年8月18日日曜日

どおくまん 特別エッセー

太地大介の思い出 その6

自転車の話-2

キキーーガシャン 

『うっ 弟(太地大介)が交通事故か』 私は急いで自転車をこいだ。
路地の角を曲がると、街灯の薄明かりの下に、バイクと自転車が倒れているのが見えた。

バイクの方は、フルフェイスのヘルメットをかぶった、派手な皮のライダースタイルの大男の、ヤンキー風アンちゃん(若者)だった。倒れかけのバイクを持ち上げながら

『いてて コラー ぶっとばすぞ バカヤロー』と叫んでいた。

弟はというと、自転車が半倒しになっており、黙ってゆっくり自転車を持って、起き上がるところだった。

弟に『どうした』と聞くと、バイクと出会い頭に軽く接触したという。
両者共、どうやら大したケガはしていないようだ。

どこ見て走っとんのや!マヌケーとバイクの男が私らにひつこく言うので、『なに偉そうに言うとんじゃドアホ お前も悪いんやろが!』
私のとっさに、ガラの悪い大阪弁が飛び出してしまった。

『な、なんじゃあオンドラ やる気かァ!!』
一気にヒートアップした相手は、興奮気味に言い返すと、腰の辺りをまさぐって何かを取り出した。

よく見ると、銀色に光るクサリを持っていた。太いケンカ用のチェーンだ。

それを見た弟はゆっくり自転車を降りた。

相手に近づいてゆく。


...つづく

2013年8月17日土曜日

どおくまん お盆特別エッセー

SA氏の思い出

■なにわ遊侠伝-2

大阪へ打ち合わせに来た、SA氏と初めて会った。
太地やみわみわよりも、5.6才年下のなかなかオシャレでハンサムな男であった。

わたしは、アサ芸の連載はこの2人(みわみわと太地大介)にまかすが、私もはじめだけ(連載が落ち着くまで)お付き合い(協力する)と申し上げた。
SAさんは『私は極道の取材は命がけでしてきました。(何度ももうダメかというのを乗り越えて、ここまで来ました)そのノウハウをこの漫画にぜひ生かして、一緒にやりたいと思ってます』と熱く語った。

太地大介が連載の始まる前に、何回か相談に来たので、私はどプロで極道漫画を描くのであれば、もちろんギャグでなければならないと伝えた。

そして、ある小じんまりとしたヤクザの一家を中心に、話を進めたらどうかと提案した。
そしてヤクザの親分とか兄貴分、子分達の配置を嗚呼!!花の応援団に習うようにも提案し、更に青田赤道の様な男が絶対いると伝えた。

一家の名前は、釣り好きの私が当時の大物釣りのメッカ、太平洋の金州から金州組と命名、主役の開門の名は太地大介が決め、連載当初は太地大介が開門のキャラを担当した。

開門のカラオケ音痴の首振りギャグの発案は私がした。

一方SA氏は、最初の約束通り、取材でしか知り得ない本物のヤクザネタを次々と提供してくれ、連載開始1年後の太地大介の急死の後も、色々な面で更に強力にプッシュしてくれ、なにわ遊侠伝はアサヒ芸能の歴代連載漫画最大のヒット作となったのである。


...つづく

『Mr.ヒラ~ノ』第4話その⑨







2013年8月16日金曜日

どおくまん お盆特別エッセー

SA氏の思い出

■なにわ遊侠伝-1

私は現役の忙しかった時、海釣りが大変好きな時期があった。
少しまとまった休みがあると、必ず遠征して、1泊か2泊の釣り旅行をしていた。

あれは、少チャンに怪人ヒイロを連載していた、30代のはじめ頃の事である。
たまの休みにまた釣りかよと、いつもの様に嫌がる?幹部連中(みわみわ・太地大介・小池たかし)を引き連れて和歌山県の串本へ、大物釣りに出掛けた帰りの特急列車の中でのことだ。

1m20cmの20㎏を超えるヒラマサを釣り上げて、上機嫌の私に後ろの席から、太地大介が声をかけてきた。
彼も70cm近い大真鯛を釣り上げていた。

『兄貴、週間アサヒ芸能のSAという編集がうちの大フアンで、ぜひ連載をと言ってきてるんやけど、俺とみわみわでやってええか?』

当時私や小池は手一杯で、みわみわと太地大介はポッカリと仕事が無く、2人を手伝うかたちになっていた。
当然若いから、やっぱり自分達も何か発表したいのだ。

私は常日頃、仕事に関して控え目な2人が、珍しく積極的なので嬉しくなった。

『うーん 週刊誌か…』と少し考えて『よし やってみい オレもサポートするで』と答えたのである。
『しかしや やってもええけど、必ず2人協力してやらんといかんで。太地大介は主に脚本、みわみわはプロットを担当しろ』と許可をだした。

2人は後ろの席でかなり喜んでいたのを記憶している。


...つづく

2013年8月11日日曜日

どおくまん 特別エッセー

太地大介の思い出 その5

■ 自転車の話-1

『おまえら薄情な奴やの』

元大学空手部主将の兄貴は、1年足らずで辞めてしまった私達を、見るたびにそう言ったが、アルバイトを増やしてなんとか仕事をやりくりし、実家の工場も順調そうだ。

一応兄貴だから、文句を言いながらでも、私達が忙しくなっていくのを、嬉しそうに見ている様にも見える。

さて、仕事場が吹田に移転した当初、私は実家から自転車で、弟(太地大介)と、吹田まで通っていた。阪急電車なら、ふた駅なのだが、自転車で普通に走れば約40分位かかる。

若かった私達は、途中相川の土手におり、競輪選手?並にぶっ飛ばした。もちろん毎日競争だ。
途中、路地裏や、河川敷の急坂を登り降りを繰り返し、ベストタイムをたたき出す。

毎日の長時間の座り仕事の中で、唯一の楽しい運動の時間でもあった。
片道のタイムは約20分前後で、たいがい私が勝ったが、弟もなかなかやる。

ある時私は、仕事場からの帰り、もう夜の11時をとっくに過ぎていた頃、下新庄の路地の手前で弟に抜かれた。
『くそったれーまてー』と必死で追う私。
弟は続いて2つ目の細い路地の角を曲がった、その時である。

キキキーーーガシャーーン

『うっ交通事故か?』

私は急いでその路地の角を曲がった。


...つづく

2013年8月10日土曜日

どおくまん特別エッセー

太地大介の思い出 その4

■ からの電話

工場に出る様になって1年ほどたったある日、実家兼工場の電話が鳴った。

『カズさん電話ですよ』 『オレに?』 ヘルメットをかぶって作業をしていた私は油だらけの手袋をとって受話器を取った。

『少年チャンピオンのです。うちで連載しませんか?』
 
『?』

それは唐突な誘いだった。

さんというのは後でわかったのだが、ドカベンやガキデカやブラック・ジャック等数々の大ヒットをチャンピオンに掲載した、当時ものすごい凄腕の名物編集長だった。

当時の私は月刊少年ジャンプに2ヶ月に1回、花田秀治郎シリーズという30頁だけのさびしい連載しか持っていなかったのでもちろん『ハイ やります!』と二つ返事したのは言うまでもない。
聞けば月刊少年チャンピオンで毎月50頁程度という。

一気に仕事が3倍以上になった。
原稿料も1頁あたり3倍以上だ!
月収も頁が増えたので何と6倍!(…といってもまだまだ4人が喰っていくには足りないが…)

私はその事を少年ジャンプに連絡した。

すると、喜んでくれると思ったら、反対に即刻クビになってしまった。
何でも専属契約制度とかいうモノに触れたらしい。
私はそんな契約書を交わした覚えなぞ1度もなかったのだが…。

ともあれ花田秀治郎シリーズは終了したが待ちに待った新しい連載がスタートした。

私は実家の工場を辞め、吹田の方へ事務所を借りることにした。
(実家にいてはいつまでも兄貴達にこき使われるからである)

この時私(どおくまん)は22才、弟(太地大介)は20才、みわみわ20才、

いよいよ独立の始まりだった。


...つづく

『Mr.ヒラ~ノ』第4話その⑧