太地大介の思い出 その3
■太地大介という男(その3)
『大の男が、マンガみたいなもんチマチマ描いて、情けないとはおもわんのかァ!!ドアホ!!家業がメッチャ忙しいんや!!さっさと手伝え!!しばかれんぞーオドレラー!!』
空手四段の暴力だけが自慢?の兄が血相を変えてわめき散らし枕を蹴りあげたのだった。
そして私達はその日から、兄達のやっている工場に、強制的に駆り出されることになった。
まるで、どこかの国の戦時中の強制労働のように、情け容赦なく夜遅くまで残業させられたのである。
しかし私達はもちろん、漫画を描く事は断固やめなかった。
早朝に全員集合し、午前中は何を言われようと、漫画の作業を死守して、母の作った美味しい昼飯をいただいてから、全員1時から工場に出たのである。
残業は、毎日10時頃まで、時には深夜に及ぶ時もあった。
全員と書いたが、工場に駆り出されたのは、私と太地大介とみわみわの3人であった。
工場で製造していたのはベルトワックスと工業用洗剤であった。
わたしは毎日、250㎏のドラム缶を転がし、弟と2人でワックスを作った。
みわみわなどは洗剤工場で働いていたので、洗剤の白い粉が当時まだフサフサとしていた彼のアフロヘアーが、真っ白になるほどいつもついていておかしかった。
花田秀治郎シリーズを描きながら、次の作品を毎日夢見ながら、そんな若い、油まみれ、洗剤まみれの日々が続いた。
...つづく
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