2013年8月10日土曜日

どおくまん特別エッセー

太地大介の思い出 その4

■ からの電話

工場に出る様になって1年ほどたったある日、実家兼工場の電話が鳴った。

『カズさん電話ですよ』 『オレに?』 ヘルメットをかぶって作業をしていた私は油だらけの手袋をとって受話器を取った。

『少年チャンピオンのです。うちで連載しませんか?』
 
『?』

それは唐突な誘いだった。

さんというのは後でわかったのだが、ドカベンやガキデカやブラック・ジャック等数々の大ヒットをチャンピオンに掲載した、当時ものすごい凄腕の名物編集長だった。

当時の私は月刊少年ジャンプに2ヶ月に1回、花田秀治郎シリーズという30頁だけのさびしい連載しか持っていなかったのでもちろん『ハイ やります!』と二つ返事したのは言うまでもない。
聞けば月刊少年チャンピオンで毎月50頁程度という。

一気に仕事が3倍以上になった。
原稿料も1頁あたり3倍以上だ!
月収も頁が増えたので何と6倍!(…といってもまだまだ4人が喰っていくには足りないが…)

私はその事を少年ジャンプに連絡した。

すると、喜んでくれると思ったら、反対に即刻クビになってしまった。
何でも専属契約制度とかいうモノに触れたらしい。
私はそんな契約書を交わした覚えなぞ1度もなかったのだが…。

ともあれ花田秀治郎シリーズは終了したが待ちに待った新しい連載がスタートした。

私は実家の工場を辞め、吹田の方へ事務所を借りることにした。
(実家にいてはいつまでも兄貴達にこき使われるからである)

この時私(どおくまん)は22才、弟(太地大介)は20才、みわみわ20才、

いよいよ独立の始まりだった。


...つづく

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